「着物の持つ広がりに興味は尽きない」Salaさん 前編
インタビュー第10回。
着物スタイリストのSalaさん。
抜群のセンスの良さと自由な発想で、トラディショナルな着付けからアートな着付けまで、何でもこなしてしまいます。
実は、着物友達でもある彼女。
着物の話から始まり、日本文化のこと、哲学的なことまでいろいろと盛り上がりました。
Salaさんのインタビュー、お楽しみください!
コンプレックスを一瞬で長所に変えてくれた着物
Tomo(以下T): 着物に興味を持ったきっかけは?
Sala(以下S):10代の時にロカビリーファッションが好きだったの。アメリカン50’Sの。ロンドンにいた時に、そういう音楽シーンも盛んで、ライブハウスとかに出入りしてると、可愛い50’Sファッションに身を包んだ白人の人達がいっぱいいるわけよね。同じファッションをしても、どー考えても私とは違う。洋服は可愛いのに、私が着ると白人の人たちとは違う風になる。
で、洋服コンプレックスになっちゃったの。洋服を着ても、洋服は可愛いのに、私の体に全然映えない。お互い共倒れ、みたいな。
その後、23歳くらいの時に、インドを放浪する機会があって。サリーを着て普通に生活している人たちがいるわけ。皆着飾っているわけじゃなくて、普通の生活の中で、洗濯したり、貧しい人がサリー着てて、ボロボロなんだけどすごくかっこよかったの。
で、着物着たことなかったけど、「あ、なんか着物着てみようかな。」って思って。
日本に帰ってから、安い着物買ってみて、着れないけど着てみたら、初めてしっくりきたの。しっくりくるってこういうことか!って思って。
私の手足が短いとか、体のボディが無いとか、肩が落ちてるということが、洋服にはディスアドバンテージだけど、着物にはそれが全てアドバンテージになる。今までコンプレックスだと思っていたことを、一瞬で長所に変えてくれた。
T: そこから着物道まっしぐら?
S: そう。それから2,3年したら、「キモノ姫」っていう本が出たのね。今までガチガチだと思っていたルールが、自由でいいんだってことにそこで気が付いて。
着物のネットコミュニティも、奥様的な豪華な着物シーンはあったんだけど、サブカルチャー的な着物シーンっていうのは、数人しか発信してなかった。だけど、「キモノ姫」が出てから、自分なりの着こなしをする人が爆発的に増えて。そういう人たちがブログで発信し始めると、「私間違ってなかった!」って楽しくなった。
T: 毎日着物だったの?
S: 普通の日はジーンズとか洋服を着るけど、おしゃれをする日には着物って感じ。
着物の魅力
T: 着物の楽しさって何?
S: 洋服ではありえない色や柄の組み合わせが、和だと普通にしっくりきちゃう時がある。今まで気づかなかった色の美しさの世界とか。
洋服だったら、大体3色以内にまとめたり、2色をベースにワンポイントさし色入れるとかあるじゃない? だけど着物だと、柄、柄、柄できても美しくまとまってしまう。特にビンテージやアンティークの着物ってすべてが柄on柄なのに、美しくまとまってしまう不思議な魔力があるよね。
T: あ~、そういうのあるよね~。あれ何でだろうね? 柄のせい?それとも形?
S: な~んでだろうねえ? 着物ってシェイプというものがないじゃない? パターンというものが無くなったところに、一つの平面の絵画的な物が生まれる、というか。だからすべてがまとまっちゃうんだよね。
T: たしかに。本当に不思議だよね。
あと、置いてあるときに見る印象と、着たときの印象が全然違ったりするでしょ。また、自分が着たときの印象と、他の人が着たときの印象が全然違うの。
S: そうそう。
衿にしてみても、ほんの1センチ見えてるだけのこの表現力。
T: たしかに!どれだけ見せるかによって印象が大きく違う。
S: そう、そう! それはすべて、着物は着付けという物で仕上げをして印象を変えることができるから。
着物は、着る人によって初めて形が完成する
S: 私、着物って日本食に似てるなって思うんだけど。
T: 日本食? へえ~、おもしろ~い!
S: 例えば、刺し身って、素材を切った段階でこちらに委ねられるじゃない?最終的に食べる側がお醤油を付けて味をフィニッシュさせるでしょ。だから、とてもプレーンな物を、食べる人が味を完成させる。っていうのは、着物っていうのは、それ自体とてもプレーンな形で、どのくらい衿を出すかとか、最後着る人や着つける人が、お好みでフィニッシュさせる。
この西洋との文化の違いって面白いなって思って。
例えば、西洋の場合、ハンドバックそれぞれ形、デザインが決まってる。
でも、着物って風呂敷と同じで、包む人がいないと形として完成しない。
T: 確かに~。そういう文化的な違いって、料理から衣服からすべてに表れてるよね。
S: その、着物の持つ広がりが面白いんだよね。
自分が着るより楽しくなってきた着付け
T: オーストラリアに来てからの着物生活はどうだったの?
S: 着物友達がいなくなっちゃったし、こっちに来て1年目で妊娠しちゃって、ほとんど子育て生活でオーストラリアがスタートしたから、身なりにもかまってられない状態だったし、そこからは空白期間。
で、Tomoさん達と出会って、着物仲間ができて、着物が着れて嬉しかった。
T: じゃあ、着物をお仕事にしようと思ったのはいつから?
S: 着物が着られると、着付けができる人って思われるでしょ。最初は友達に頼まれたりして、着付けをやってあげたりしてたんだけど、だんだん口コミで広がってきて。
自分が着てるだけだと、限界が見える。だけど、人に着せると、「あっ!こういう風に見えるんだ!」とか、驚きがあるんだよね。そして、着る方もハッピーになるでしょ。だいたい喜びの席に着つけることが多いから。
で、ハッピーになるお手伝いをするのがすごく楽しくなってきて。なんか自分が着るより楽しくなってきちゃったんだよね。
だけど、下の子が5歳になるまでは子育てを100%やりきりたかった。
仕事としては、上手くいく確率は緩やかに下がっていくけど、子供の今の笑顔を見る確率は0%になるから。
で、下の子が5歳になって、学校に行き始めて、空いた時間で自分が今までやりたかったことをやろうって思って、着付けの仕事を始めたの。
T: こっちは日本に比べて着物を着ようっていう人が圧倒的に少ないじゃない?
その辺はビジネスを始める前にネックに思わなかった?
S: 着る人も圧倒的に少ないけど、着付けができる人も圧倒的に少ない。だから全体的な比率から言ったらそんなに変わらないんじゃないかなって思った。
メルボルンの風景と着物が生み出す新たな面白さ
T: こっちで着物スタイリストとしてやっていて、日本で同じ仕事しても経験できないだろうなっていう事は?
S: 日本では経験できない事ばかりかもしれない。(笑)
例えば、風景。メルボルンだったら、グラフィティや公園、ヨーロピアンなビルがいろんな所に入り混じってるでしょ?そういう風景って日本では無いし、その風景と着物を一緒に撮ると、クロスカルチャー的な新たなおもしろさが発見できる。刺し身をマヨネーズで食べたら意外とイケた、みたいな。(笑)
T: もしオーストラリアの中で違う都市、例えばシドニーとかブリズベンでやってたら、スタイリングも変わると思う?
S: オシャレを楽しむには四季が必要。だから、いつも暖かい所だとここまで自分がワクワクしなかったかも。
T: メルボルンっていう場所も良かったんだね。
S: あと、文化的に全ていろんな国の物がいい具合に混ざり合ってる。それも良かった。
おわりに
インタビュー前編いかがでしたか?
後編は、彼女が着物スタイリストとしての仕事の先に見据えているもの等々、話がどんどん深くなっていきますよ。
続きはこちら。
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